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毒か薬か

基本的に週に一回の更新です。毒か薬にはなることを書きます。

正しさと証明

 

形式的な論理学をある程度学ぶと、常に真であることと証明が可能であることの関連性についての話が登場する。普通に考えると「正しい」ものは「証明可能」であり、また逆に

「証明可能」なものは「ただしい」ということができそうだ。ゲーデルの完全性定理は一階の述語論理に対して、これを証明したわけだが(と書くと、本質的に非常に紛らわしいといつも思うのだが、そもそもこの紛らわしさを紛らわしさとして受け取る人の閲覧を前提としてないような気もする)、当然それ以外ではこれは必ずしもいえない。

 

ところで、実際に現実のレベルでも証明出来ることと正しいことの間にはギャップがある。よく子供にある事象について「なぜそうなるのか」あるいは「なぜそう思うのか」と訪ねると「本や新聞にそう書いてあった」と答える(大人でもそう答えるような気がするが、そういう人を子供と呼んでもよいだろう。いや、これは子供に失礼だろうか)。例えば「「ある種の漫画やゲームは犯罪の温床である」と新聞に書いてあった」とする。子供は「新聞に書いてあることはすべて正しい」と考えているとすれば、「ある種の漫画やゲームは犯罪の温床である」が帰結する。この推論には間違いは一切ない。この子供は論理的であればあるほど、このような答えを正しく導くことが出来る。(これは一般的に三段論法とい言われるものでAならばBBならばCの両方がなりたてばAならばCがなりたつという考え方のことであると思えばよい)。

 

考え方は完ぺきに正しいが、「新聞はすべて正しい」が正しくないからこの結論は、もちろん正しくない。世の中には悪い人がたくさんいて、論理的にはただしいことをいっているように見せかけることでそもそも前提が間違っているから当然結論も正しいはずがないようなことを、正しいと思わせたりする。

 

ところで、少なくとも私は「ある種の漫画やゲームが犯罪の温床である」とは思わない。(そう思っている人がそれなりにいるらしく、また彼らがあまり論理的には見えないのは不思議なことだ)