毒か薬か

基本的に週に一回の更新です。毒か薬にはなることを書きます。

向いてない人

人には向き、不向きがある。という言説は、かなり無批判に受け入れられている。ここには向いている職業や、学問、スポーツなどが人それぞれあり、出来るだけ向いているものに取り組み、向いていないものはできなくても仕方がないという含意がある。一方で、夢にむかって取り組むことの大切さもよく語られる。もし自分の夢が、明らかに自分に向いていないものだったら、どちらが優先されるべきかという問題にはわかりやすい答えは存在していない。

 

高校生のころ、クラスで一人ひとつ何かの委員みたいなものをやらなければいけなくなかった。なんでも良いと思っていたので特に立候補などもせずにいたら、高校三年のときは卒業アルバム委員になった。この仕事は大変重大である。卒業アルバムの各クラスに割り当てられた一ページの写真をセレクトするのがその主な仕事だ、と教えられた。クラスの写真は文化祭や、修学旅行、その他学校行事などの際にどこにいたのかよくわからないがカメラマンによって撮影されており、それなりの量がある。

卒業近くなって、春先にアルバム委員になったことも忘れていた私(ともう一人同じような理由でアルバム委員になった同級生)は突然招集されて家庭科室みたいなところで写真を並べて、クラスのページにはる写真を選び始めた。写真は100枚くらいあって、そのなかから10枚選ぶ。クラスは40人くらいだから一枚平均4人くらい写っているものを選べば全員がのることになると瞬時に計算した。約一年間委員活動をせずに、計算力を鍛えた成果が発揮される。

ところが、そんなに分散して写っているわけでもないので、案外ちょうどいいバランスがとれない。だんだんとどうでも良くなってきたのだが、決めなければいけないので僕と友人はある方針をとることにした。それは「自分たちが写っている写真を選ばない」ということである。これはそれなりに有効な方針で、これによってかなり写真が絞りこまれた。あとは、先ほどの方法で選べば良い。

 

大体時間にして20分程度。これが唯一の仕事である。他の委員は一年通して仕事があるのに、たったこれだけの仕事でアルバムの最後にはアルバム委員としてクレジットされてしまった。

 

だがよく考えてみると、写真を選ぶときにクラスの一年間の思い出や人間関係、その他多くの要因を考慮して、それをたった20分のパフォーマンスですべて表現するというのはそれほど簡単なことではないかもしれない。

そのような重責からついに解放された思いだったので、実はもうひとつアルバム委員に課せられるはずだった仕事「卒業後の同窓会の幹事」は、上京するため地元での同窓会幹事には向いてない、ということを理由に断った。大体こんな副次的な仕事があるとはしらなかった。ちなみに同窓会は毎回東京在住の友人が開催してくれた。

 

議員に向いてない人、というのはおそらく多くの人に共通している認識だろう。何か不祥事がおきるたびに「あのような人は議員に向いていない」というようにみんなが言い出す。

では向いているのはどのような人だろう。

清廉潔白、質実剛健、頭脳明晰、しかしそのような人はずっと前から別のもっと向いている夢に向かってしまうだろう。