J-POP恋愛論 はじめに
以下ではJ-POPにおける恋愛について論じる。
J-POPの多くの楽曲の歌詞は、恋愛についての歌詞である。この点に関して詳しく統計をとったわけではないが、例えばCDセールスがピークだったと言える1998年の年間チャートトップ10を見ると、そのうち8曲はかなり控えめに見ても恋愛の曲と言える(残り2曲も、そういえなくもない)。歴代のトップセールスをみても、上位50曲のうち少なく見積もっても、7割は恋愛の曲である。(ただし1位と4位がどう読んでも恋愛の曲ではない「およげ!たいやきくん」と「だんご3兄弟」であることは特筆すべき事項であろう)。
我々の日常にあるのは恋愛だけではない。その他様々な要素が絡み合って、日常生活が成立している。しかし本来何を歌ってもいいはずの音楽で、かなり多くの割合で恋愛の歌が歌われているということはどういうことなのだろうか。
もちろん恋愛の曲こそがヒットする、という点は見逃せない。恋愛をえがくことはヒット曲であることの必要条件である、というのは自身も作詞をしたことがある立場として少なからず実感する部分ではある。しかしそれは構造の内部での一面的な姿でしかない。つまり、恋愛をテーマにすることがヒットの必要条件であるという論理の、メタ的な構造を考えることは不可能ではないということである。(当然注意したいのは、それらが恋愛をあつかったから、あるいはその歌詞だったからヒットしたわけではないということである。翻って以下の議論は「このような歌詞であるからヒットした」というようなことを論じるものではない、ということを明記しておきたい)。つまり、恋愛の楽曲が多くの人にとって受容された理由は、少なからず明文化できるのではないかということである。そのようなヒットの構造を探すことが目的ではないが、一方でそれらが議論の一部において無視出来ない役割を果たしていることも事実である。無論それは、当然後述の各論の中で現れてくるものではあるが、いかに数点あげておきたい。
恋愛がテーマになりうる3つの理由
①恋愛はだれにとっても可能なものである(社会的普遍的)
②恋愛は追体験が可能である(時間的対称性)
③現実的に起こりえることである(物理的現実性)
①は②および③の根幹になっているといえるが、以下の議論でも度々でてくるといえる恋愛が楽曲のテーマ足りうる最大の特徴である。つまり、歌詞で歌われる恋愛はそれを聴く人間にとって「これは自分のストーリだ」と思うことである。たいやきになって海に逃げるというストーリは独創的だが、自分がそのような立場になることは考えにくい(メタファーとしてはもちろん様々な場面が想定されるし、であるからこその大名曲であることは今更書くまでもないことだが)。一方で、誰かのことを好きになったけれど、その想いをうまく伝えられない、といったような状況はまったく日常的なものである。普遍的であるが故に、それらは理解しやすいテーマとして受容されることになる。
②はそれらが、さらに受容された後に自分の体験として現れる可能性である。そのときは理解出来なくても、いずれ理解する、あるいはいずれ体験する世界にむけての存在として歌詞が受け取られることは多いだろう。子供向けの曲の多くが非現実的な状況を扱っている理由は、恋愛自体も非現実である子供にとってはある意味でどちらも同じ非現実であり、それならば空想的なものとしても多少なりともインパクトのあるものをテーマにするという力学が働いているのかもしれない(子供向け楽曲に関しては、深くは立ち入らない)。その子供たちにしても、いつかは恋愛の楽曲の意味内容が自分のためのストーリに思えるかもしれない。
ストーリという言葉を使用しているが、これ自体も恋愛の時間的な受容を表現している。恋愛は多くの人にとって「うまくいかなかったことがうまくいく」「最初はよかったがだんだんとダメになる」「おもいがけない出会いがある」など、ある程度自ずから話に流れとオチがつくことが多い。つまりある程度のストーリが包含されているのである。それが恋愛であることによって、自ずからもつ時間的な構造は楽曲が成立するための重要なファクタのひとつになっている。
③は重複する内容と思われるかもしれないが、これは歌い手、あるいは表現者にとっての立場としてもそうであるということである。聴き手にとって、重要視されることのひとつとしてその楽曲がそのアーティストにとってリアリティのあるものなのかという観点がある。アイドルが不倫の歌を歌う、ということはない。それはそのような楽曲がアイドルという構造そのもののリアリティから乖離しているからだろう。聴き手に求められていないものというのは少なからず存在する中で、恋愛というテーマは比較的歌い手、あるいは作り手にとってのリアルから遠くないところにあるといえる。
さてこのように、恋愛が楽曲のテーマとして扱われるのは非常に簡単にみてもいくつかの理由があるが、当然その内容は非常に多岐に及ぶ。上にあげた3つの理由からさらに導かれることとして、テーマとしての恋愛の「多様性」は4つ目の理由となりうるだろう。これこそが、恋愛の楽曲が無限に存在する理由でもある。以下で扱うのも、このような多様性の中で恋愛がどのように描かれ、それがどのように受容されているのかということ、またそれらは現実的な恋愛に対する人々の態度とどう関連しているのかということである。これらの分析によって、我々のどのような恋愛が楽曲としてえがかれているのか、あるいはどのような恋愛が楽曲のなりたちに影響をあたえているのか、そして今後どのような楽曲がありうるかということを考えていくためのヒントになるだろう。
「ヒット曲=名曲、あるいは分析に値する曲」、というのはいささか乱暴であるが、一方でヒットしていることが人口に膾炙しているということはまぎれもない事実である。そして、多くの人が知っているということは、これらの楽曲がその人たちの間で相互に影響し合っている可能性は高い。議論としての飛躍を覚悟で言えば、これらの楽曲の歌詞は我々日本人の恋愛観に影響を与えているし、我々の恋愛観が多くのヒット楽曲に影響を与えているといえるだろう。また扱う楽曲に関して、ヒット曲を前提にしているその他の理由としては扱う恋愛の内容が筆者が予め前提としている何かしらの恋愛のモチーフにそった楽曲を選んで論述しているということではない、ということを示すためでもある。あくまでも、テーマとして描かれている恋愛を自然な形で取り出して、それらがどのようなものであるのか分析することを目的としたい。
以下では各年代のナンバーワンヒット曲を中心に、オリコンCDシングル歴代売り上げランキングトップ200以内の曲を参考に、J-POPにおける恋愛論を考えていきたい。