毒か薬か

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J-POP恋愛論 1.1「ラブ・ストーリーは突然に」小田和正(1991)

ラブ・ストーリーは突然に小田和正 (1991)(作詞・作曲:小田和正

 

 恋愛にははじまりがある。それはひとめぼれかもしれないし、相手からの突然の愛の告白かもしれないし、その形は多様だろう。いずれもそれは予期しないものであるから、恋なのであって、「わたしはあの人のことを好きになるだろう」というのは聞かない話ではないが、直感的に言っても後づけのものに思える。前述のようにスタンダールの恋愛論によれば、恋には7つの段階があることになるが、そこまで分析しないまでも

 

出会い

恋の始まり

恋の成熟→恋の完成

恋の終わり

 

といったルートを、色々と想像することは容易だろう。

 小田和正の大ヒット曲『ラブ・ストーリーは突然に』はタイアップドラマのイメージもあり、恋人たちの様々多様で、しかしどれもある意味で一途な恋をえがいた楽曲であるように思える。無論、そのような理想的な恋への決意の詞としてこの歌詞を読むならばハイライトは、

 

「君のためにつばさになる 君を守りつづける」

 

となるだろう。このような恋愛でありたい、またはこのような恋愛をしてみたいというのは青年期の恋愛へのあこがれとしては妥当なものであるし、誰しも恋愛ドラマや映画をみてその中でえがかれるようなすてきな恋愛(まさに「ラブ・ストーリー」)に心を動かされたことがあるだろう。では、これはそのような一途な男の恋の始まりから、決意までの歌なのだろうか。実はそうでない読みも可能である。

 まずポイントになるのはタイトルだろう。『ラブ・ストーリーは突然に』というタイトルは、実に印象的なタイトルでそこで展開されるであろうラブストーリーを聴き手に様々イメージさせるが、実際には「突然に〜」のあと何が続くのか、明らかではない。前述のとおり、これが一途な男の恋の始まりだとしたら、当然これは「ラブ・ストーリーは突然はじまる」という意味だろう。しかしながら、上記のルートの中でどの矢印であっても「突然に」発生することは不可能ではないし、おかしなことでもない。つまり「ラブ・ストーリーは突然おわる」というようにこのタイトルをよむことも不可能ではないのである。もし楽曲構成を軸として考えるのであれば、J-POPの音楽作品の中でサビで最も重要なこと、伝えたいことが表現されていると考えるのは自然なことだ。そこで最初のサビの歌詞を中心に、この曲を見直してみると、ここには異なった「ストーリー」が見えてくる。

 楽曲のサビの部分は、

 

「あの日、あの時、あの場所で、君に会えなかったら

僕等はいつまでも 見知らぬ二人のまま」

 

である。印象的なフレーズではあるが、これを単に言葉として捉えた場合、ここで言われていることは出会いの場面であればある意味でほとんど当たり前のことだ。出会うことがなかったら、知らないもの同士であるというのは恋愛に限らず普通のことだが、これをサビの歌詞にしているということは逆説的に主人公はこのような出会いを重要なものであると考えているということだろう。このような当たり前の出会いでさえも「ラブ・ストーリー」の一場面であると考えるよ、というのがある意味ではこの男の基本的なモチベーションの現れである。

 

「誰かが甘く誘う言葉に もう心揺れたりしないで

切ないけどそんなふうに心縛れない」

 

これも、もし恋人同士だとすれば「誰かが甘く誘う言葉に心揺れない」というのは、それほど言及するまでもなく当たり前のことであろう。もし自分の恋人がその程度のことで、心揺れる人であったら(あるいはそんな意味内容のことで、「切ないけど心縛れない」と思い悩むような関係であったら)、恋人としてうまくやっていくのは難しいと思うかもしれない。

 そこで実は、ここで描かれているのは非常に理想的かつロマンティスト的な恋の最初期段階なのではないだろうか、という読みが成立する。主人公はこのように当たり前とも思えることを、「ラブ・ストーリー」の一部であるであると考えることで、自分の恋愛に対するイメージを具現化することができる。

 すると、そのような現れであればラブ・ストーリーは「突然に」始まることもあり得るし、一方でそのロマンティスト的にモチベーションになるような要素がなくなればラブ・ストーリーが「突然に」終わってしまうことがありえる、ということになる。

 このようなロマンティスト的な恋愛を求める立場から、この主人公の恋愛観を見ていくと、この主人公にとっては上記のルートのどの矢印段階であってもそれが「恋愛の初期的段階」にあると見ることができる。

 

 ロマンティスト=恋愛に関する「恋愛の初期的段階」

 

と、結論づけるのは少々強引だとしても、自身の想いの一見当たり前と思える部分さえも「ラブ・ストーリー」だと思えるというのは、まさに恋愛に関する「恋愛の初期的段階」であるといえるだろう。

 ところで、この主人公はたしかに恋愛に関する「恋愛の初期的段階」にいるのだとして、では恋愛の初期的段階にもいるといってしまうこともできるのだろうか。実際には必ずしもそうであるとはいえないだろう。

 もし恋愛の初期的段階にいる、あるいは第一の結晶作用の状態にあるとすれば、それは相手の美点についての言及になるはずである。たしかに、

 

「君があんまりすてきだから

ただすなおに好きと言えないで」

 

という言葉もある。相手を表現するにあたって端的に「すてき」であるとし、さらにすなおに好きと言えないほど(つまり逆に間違いなく彼女のことを好きだとということである)彼女に「まいっている」。この「すてき」→「好き」をその枠組みだけとらえれば間違いなく第一の結晶作用であり、恋愛の初期的段階ではある。しかしこれは、「すなおに好きと言えない」というような恋愛に関する「恋愛の初期的段階」であることの正当化として、「君があんまりすてき」と言っていると見ることもできるだろう。

 このような恋は、このような恋のままでずっといられるのだろうか。スタンダールの第一の結晶作用はそれが「第一」といわれているようにその「後」が存在する。ある程度誰もが経験するように、恋はただ幸せで相手のことをなんのためらいもなく賛美出来る状態が続く訳ではない。この楽曲の主人公がそのことに気がついているのか、というのは非常に微妙な問題だろう。

 

「誰かが誘う言葉に もう心揺れたりしないで」

 

という一行だけが、男か女か、どちらかの過去を一瞬想起させる。それを知っているならば、このような恋愛に関する「恋愛の初期的段階」がいずれ、突然に、終わってしまうかもしれないというのは予想出来ないことではないだろう。

 このような恋愛の初期的段階と、恋愛に関する「恋愛の初期的段階」とが、歌詞の世界の中で絡み合うということは十分あり得ることであり、また初期的段階に限らず「恋愛」の中身と「恋愛」そのものに対する態度がどちらも現れるというのは、よく現れるモチーフである。それは歌詞という表現方法が一番大きな理由になっている部分といえるかもしれないが、それについては次章以降の課題とする。