毒か薬か

基本的に週に一回の更新です。毒か薬にはなることを書きます。

「脱退するバンドマン、卒業するアイドル」

 最近、バンドマンやアイドルのグループからの脱退のニュースをよくみかける、という書き出しの記事をよくみかける。多くの人が書いているので、おそらく事実であることはあるのだろう。多くの人が書いているのにあまり事実ではないという特徴をもった媒体をあまり読まず、芸能ニュースばかりみているのが功を奏した形だ。

 ところで、アイドルはグループから抜けるときにしばしば「卒業」という言葉を使う。(ちょっときどってしばしばと書いたものの、実際にどの程度の数なのかしらべるのが億劫だったということでもある)。この世界には誰がオリジネーターかということを異様なまでに気にする人がいて、自分も比較的そういう気質があるのだけれど、いったいこの言い方は誰が始めたのだろうか。僕が最初にきちんと意識したアイドルグループはモーニング娘。だったが、彼女たちはメンバーがぬけるときにたしかに卒業という用語を使っていた。自分の世代はモーニング娘。のメディア露出がピークだった頃に、小・中学生だったので、同世代にモーニング娘。のことを話すともはや「卒業メンバー」と言われる元メンバーをイメージする人も多い。
 アイドルグループのメンバーだったことはないが、バンドをいくつかやっていたことがあって、バンドをやめたこともある。ところがバンドにおいては卒業という語はほとんど使われない。自分もつかったことがない。

この理由を少し考えてみるといくつかの理由があるように思える。


 卒業という言葉で連想するのはやはり学校だろう。アイドルといえば中高生、大学生くらいの年齢のメンバーが多い。その意味において、卒業という言葉が身近に感じられる人たちに「卒業」という語が使われていることになる。(年度の途中で卒業というのはありえないから、転校とか退学のほうがあっているように思わなくもないが、転校では他のグループにいくような感じだし、退学はあまり印象がよくないのだろう)。しかしながらバンドマンにも色々な年齢の人がいて、学生も多いので、必ずしもこれはアイドルに限定された話ではない。

 ところが加えて、学校というもの特徴もアイドルグループとよく似ている。それは、学校の生徒がたとえ総入れ替えしたとしても、その学校そのものはおなじ名前で残るということだ。アイドルグループも同じ構造をもっていて、例えば件のモーニング娘。は自分がはじめてみたときにいたメンバーはだれもいない(まあ微妙に名前もかわっているけれど)。バンドではあまりそういうことはないように思える。バンドメンバーが全員かわってもバンドが存続するということはほとんどなく、場合によっては一人変わっただけでも別のバンドになるということもあるだろう。
 これは哲学の中では「同一性問題」といわれるような類の話だ。つまり、何をもって二つのものが「同じ」であるのか、ということである。アイドルグループに関しては、同一性は「構成要素が同じであること」ではない、ということになる。実際に哲学的な議論でもこのように「構成要素」が同じであることを「同一」であるという条件として使うことはあまり有効な手段とはいえない。例えば、人体を構成する分子は約10年ですべて入れ替わるらしいが、だからと言って10年前の自分と今の自分が別の人間であるというひとはいないだろう(そもそも、同じだと思っているからこういった議論が可能なのであるし)。

 しかしアイドルグループの各メンバーがこのような人体を構成する分子のようなものかというと、もちろんそんな風には思えない。例えばその例でいうなら、脳とか心臓とか、そのくらいの大きな部位を占めているようにも思う。何が残っているいればその人間そのものであるといえるのか、というのはかなり繊細で難しい問題であるから、それと完全に対比させるのはかなり難しい。
 学校、という例は非常にわかりやすいのだ。生徒がいなければ「学校」はなりたたない。しかし生徒だけでも学校はなりたたない。そして、ある特定の生徒がいるかいないか、ということはその学校そのものの「同一性」には関係ないからだ。

 さて、卒業、というのは別れでもあるが、それよりも一層めでたいものでもある。当たり前だけれど、「卒業」のあとに続く言葉ナンバーワンは「おめでとう」だ。アイドルの卒業にもそんな意味があるだろうか。たとえばモーニング娘。のメンバー当時やめていく時、それは次へのステップのように思えた。みんながそれぞれに自分の進むべき道をみつけて、グループを離れていくという姿は卒業というものとかなり似ている。
 ところで、日本では学校を卒業するというのは小学校や中学校ではそれほど難しいことではないけれど(よほど問題がなければ時間が過ぎれば卒業することになってしまう)。高校になると、義務教育ではないから必ずしも卒業できるわけではないし、海外にいくと卒業というのはもっと難しいらしい(よく日本の大学とアメリカの大学をくらべて、入るのが難しいのが日本、出るのが難しいのがアメリカと、いったりする)。アイドルグループでも、なんとなく辞めていく人もいるだろうけれど、色々と大変な過程をへて、悩んだりそれでも何かを達成してグループを出ていく人もいてファンもその過程もふくめて応援しているからこそ悲しいなかでも「卒業」という言葉でそれを祝うことができるのだろう。(だからその理由であれば卒業という言葉をバンドマンが使っても別に問題はない気がする)
 何かマイナスのイメージを言い換えるだけではない示唆があるのだから、その卒業を祝えるような卒業をしてくれたらなと思います。適当に卒業とか、慣習で言ってるのも余計に、卒業できるほどなにかしたのかな、と気になってしまいます。

追記
 一般に、結婚も「おめでとう」しか後に続かない言葉なのに、この世界ではまた難しくなりそうですね。