毒か薬か

基本的に週に一回の更新です。毒か薬にはなることを書きます。

どうでもいいこといいますけど


 どうでもいいことですが、という書き出しではじまる会話や文を見ることは少なくない。例えばTwitterなんかではよく見かける書き出しだ。どうでもいいなら、どうでもいいらしく黙っていれば良さそうなものだが、そのように言ったところで別にどうでもいいのだから、むしろもう少しこれを掘り下げてみよう。
 
例えば、「どうでもいいことなんだけど、昨日の日本代表の試合はつまらなかった」という発言があったとする。もちろん、文の意味するところ、つまり発話者の主張は「どうでもいいことなんだけど」があってもなくても同じである。それでもこの「どうでもいいことなんだけど」をつける理由は大きくわけて二つあるように思う。

①保険として
②接続詞として

 ①はつまり、他の人がその主張をどう思うかということを担保しているということだ。多くの人は昨日の試合はそんなに悪くなかったと思っているかもしれない、あるいはこのような発言をすること自体がイケてないことかもしれない、というような可能性に対して、この発言そのものはそれほど自分の中でプライオリティが高くないぞ、ということを示しているということだ。
 一方②は、要するに他に適切な接続詞がない、あるいは文頭にはなにか接続詞的なものがなければいけないと思っている、というようなことである。この文の前に例えば、「今日は暑すぎるので仕事が終わったビールが飲みたい」という文があったとしよう。そのことと「昨日の日本代表の試合」はおそらく関係がない。そこで、他にいいものが思いつかないので「どうでもいいんだけど」という接続詞的なものをいれることになる。これに該当する適切な接続詞は「ところで」あるいは「さて」であろうと思われるが、確かに現在の日本語使用においては少しだけ「固い」表現であるようには感じられる。
 実際、「どうでもいいけど」をTwitterエゴサーチすると、①②両方の意味合いを込めて使っている例が多いように感じた。もちろんそのように思って読んでいるからそう感じるということもあるだろうが、いずれにしてもいえることは発話者はそれほど「どうでもいい」とは思っていないはずだということである。「どうでもいいですけど」ではじまる文は、
「(今から言うことはわたしはそれなりに発話に値すると思っていますが、これを読む不特定多数の方にとってそれがあまり重要ではない可能性、あるいはこれらを真剣に検討することに不快感を示す方がいる可能性などを十分鑑み、熟考のうえ、さまざまな状況を考慮した上で、関係各位のご意見もふまえまして、最大限善処したうえであらゆる可能性を前提として)どうでもいいことなんですが・・・」
と読むと適切であるようだ。特にTwitterは140字しかないので、そこを鑑み、善処した結果だろうと思う。