毒か薬か

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フィロソフィーのダンス2nd album『ザ・ファウンダー』作詞家による全曲解説!

フィロソフィーのダンス2nd album『ザ・ファウンダー』の発売が近づいてきた。今日0時からはSoundcloudでも全曲の完全版がフルコーラス試聴できるというニュースも出て、いよいよ、という状況で、1stのときはできなかった楽曲の解説を少ししてみたい。

 

soundcloud.com

理屈なんか抜きで、いい音楽はいいと思うし、ダメなものはダメでいいと思うのだけれど、逆に考えれば楽しみ方は色々あるので、
アイドルグループで「哲学」という根本テーマと作詞家が固定されているという珍しい体制であることもあって、作詞家視点でのこのアルバムの1つの楽しみ方をかいてみたい。

 

『ザ・ファウンダー』
まずアルバムタイトルは、今年夏にプロデューサーである加茂啓太郎氏との話の中ででてきた。全体のコンセプトを司る加茂さんがタイトルをきめるというのはごく自然なことではあるが、「創立者」「創業者」を意味する「ファウンダー」という言葉は自分たちで自分たちのハードルをあげていくという加茂さんが無意識にいつも製作陣に求めているコンセプトを体現しているともいえる。
フィロソフィーのダンスは毎月1回の定期公演(あるいはワンマン)で基本的に1曲ずつの新曲を披露している、昨年11月に1st album『FUNKY BUT CHIC』を出したので、そこから新たに12曲のアルバムがつくれるまで約一年、このアルバムが11月にでるというのは基本的にはわかっていたことではあったが、タイトルが決まると俄然それはリアルなものになってくる。

1.ダンス・ファウンダー
夏頃、アルバムを実際に制作して行くことがきまり、既存曲の再レコーディングなどもすすみタイトルもきめていくなかで、アルバムテーマを象徴する曲というのが加茂さんや作曲家の宮野くんとの中でかなり頻繁に話題になるようになった。ちょうど7月にフィロソフィーにとって3回目のワンマンライブがあり、その前後、そして10月の4回目のワンマンにむけて色々なことを考え始めた時期だったとも思う。フィロソフィーのダンスのワンマンライブには「Do the strand」というタイトルが付けられている。これはもちろん、加茂さんも敬愛するロキシーミュージックの名曲”Do the strand”からそのまま付けられものだが、この七月頃、色々とアルバムやワンマンのことを考えていた僕はこの曲を何度もきいていた。その中で一番印象にのこったフレーズが“Danceable solution”いうなれば「踊れる解決法」というワードだった。”Strand”というのは、ロキシーミュージックの造語であって、架空のダンスのことであるというのは有名な話だが、つまりストランドは踊れる解決法なのではないか、ということになる。我々は踊れる解決を目指すべき、そして目指すことができる。まだ解決できない様々なものに対して、新しいダンスを提示したい、というのが「ダンス・ファウンダー」だった。
 フィロソフィーのダンスにおいてもまだそれほど多くないが、ここ最近加茂さんや宮野くん、また何人かのディレクターとの間で「詞先」(曲よりも先に歌詞をつくる)という制作スタイルを積極的に取り入れようとしている動きがある。アイドル曲の多くは(実際の感覚としてはアイドルに限らないがひとまずわかる範囲では)、先に作曲家による楽曲があって、そこに作詞家が歌詞をそのメロディにあわせて載せていくことになる。これは特段伝統的なスタイルというわけではないが、ここ最近はそれが顕著で、これは作詞家としてもある程度の技量が必要だが、一方ですでに曲があるのである程度やれることが決まってくることになる。その中で最高のものをつくるのだけれど、そうでない作り方をしてもいいんではないか、踊れる解決法で新しいダンスを踊るんだから、ということで、「ダンス・ファウンダー」は先にタイトルとサビの歌詞をかいた。作曲家の宮野くんがそれをもとにサビのメロディとアレンジ、そしてさらにそれにつながるAメロ、Bメロといった流れを持ってきてくれた。そしてここにさらにAメロ、Bメロの歌詞をつける、という変則的なスタイルで「ダンス・ファウンダー」はできた。といっても、それは楽曲ができたというだけのことでアイドルはここからがある種本番である。歌振りは「ABCをこえるフィロソフィー」を誰が歌うのだろうというのが、このグループである意味一番の正統派アイドルである佐藤まりあが歌うことになり、加茂さんわかってますね、とほくそ笑んだのも覚えている。さらにライブでの披露、振り付け、といった欠かせない重要なステップがあり実際に制作時期から披露までが限りなく短くなってしまったが、メンバーは僕が思う以上に「もっといける!」というライブをみせてくれたし、振り付けも「間違ったステップなんてない」ということを見せてくれた。フィロソフィーのダンス制作チームで最高の「アルバムテーマを象徴する曲」が完成した。

2.ライク・ア・ゾンビ
 この楽曲は、今回はアルバムの中ではもっとも古い時期にでき、昨年の1st album発売、ワンマンライブ直後の12月の定期公演で初披露された。そういった意味ではこのアルバムが作られることのまず最初のきっかけになった曲であるといえる。
 哲学というフィロソフィーのダンスに通底するテーマのなかで「ゾンビ」といえば、「心の哲学」という分野を少しでもかじったことがある方であれば「哲学的ゾンビ」というワードがまず瞬間的に思い浮かぶだろう。「心の哲学」は20世紀にできた比較的あたらしい分野で(というのも哲学は紀元前からの営みで、紀元前にかかれたテキストをいまだに現代の学者が研究しているような学問なのである)、その中ではよくまさに現代だからこそ想像できるような「思考実験」というものが提示される。「哲学的ゾンビ」もそのひとつで、外見上や物理的な反応の上では人とおなじなのに、「心」がまったくないような存在を仮定したとしたら、我々がそれを人であると考えることできるのだろうか、というような議論である。なぜそんなことを考えないといけないのか、というのは哲学では非常によくある疑問なのだけれど、「哲学的ゾンビ」は世界はすべて物理的な対象だけで記述できるという考え方へのアンチテーゼとなっている(もしそういう考え方を認めたら「哲学的ゾンビ」は人間と同じ、ということになってしまうから)。もちろん、これに関しては興味のある方はたくさんの解説書が日本語でもあるので、そちらで読んで欲しいのだけれど、もうひとつやはり話としてはずせないのがゾンビ映画のオマージュ。ゾンビ映画というのは僕にとって、ホラーとは違うまさにFunky but Chicなテーマで、そういった意味でも歌詞の中にはゾンビ映画のお約束的な出来事がたくさん現れる。ぜひそんなところもチェックして欲しい。

3.はじめまして未来
これも順番としてはライク・ア・ゾンビの次につくった曲だ。ゾンビにつづいて作・編曲はもちろん宮野くん。宮野くんはファンキーでブラックな楽曲のイメージも強いけれど、1stの「オール・ウィ・ニード・イズ・ラブストーリー」などファンキーさは残しながらポップなメロをかけるというすごい作家なので、この曲がきたときも僕は「今まで一番いい曲かもしれない」というのも宮野くんに伝えた。が、しかし宮野くんが仮歌でいれてくれていた英語のような英語じゃないような歌詞がかなりしっかり歌になってしまっていて、まずこれを忘れるのが大変だった。仮の歌詞というのはもうこれ使ってほしいです、というあざとい内容のものも多いのだけど宮野くんはまったくそんなことはなくて、メロとして最高のものを提示してくれる。(メロディを楽器でひいておくるのが作曲家だと思うかもしれないが、それだと歌で出したい雰囲気が伝われないので基本的にフィロソフィーのダンスもふくめ大体は作曲家やまたその周りの人などが仮の歌をいれて作詞家のもとにおくることになる)。ただこの曲に関しては、あまりに宮野くんの仮の歌詞のはまりがよく、めずらしく歌詞を考え始めてから日をまたいで次の日を迎えてしまった。ということで「It’s a new day!」なわけである。冗談はともかく、サビはじまりでもあるこの曲の冒頭を「It’s a new day!」に決めてからは、はやかった。プロデューサーの加茂さんとは「卒業ソング的な雰囲気もありではないか」という話をしていて、それも念頭にあったのだけど「アイドルの世界における卒業」ではなくて、まさに卒業式というのをテーマにしてみた。哲学には現在主義という考え方があり、存在するものは現在にしかない、というものだ。未来というのは目の前にあるようで、きづいたときには通り過ぎてしまう。それでも常に目の前の未来にむかっていくしかない、その向かい方だけを人がきめることができる。
Dメロ、ライブで日向ハルが彼女のボーカリストとしての最高の未来をみせてくれる「走っても明日はすぐこない、でも助走つけてはじめたい、ずっとずっと先の未来でも理由はここから」はそんなフレーズだ。
 ところで、この曲は宮野くんも言及するようにEW&Fの”September”が下敷きにある。それはもちろん聞いてすぐにわかったのだけど、9月は卒業シーズンではないし、「マーチ」というタイトルにしようかと一瞬思ったというのをせめてもの裏話としておこう。

4.エポケー・チャンス
一転して、ストレートなファンクナンバー、作られたのもかなりアルバム発売に近い時期。「エポケー」というのは哲学で使われる用語(ギリシャ語由来)で「判断停止」という意味だ。といっても、判断をやめるチャンス、というのはよくわからないと思う。「エポケー」という用語が使われるのは哲学でも「現象学」といわれるジャンルで、それはここでざっくりと解説することもできないような広範な射程をもった学問なのだけど、誤解をおそれずいえばエポケーというのは「現象学」のなかのひとつの手法で、世界をありのままにうけいれる、われわれの予断が入り込まない形でうけいれることによって、純粋世界の構造をしるための最初の手段である。まだまだよくわからない、という感じがするだろうが、これは実際別にそれほど不自然なことではない。我々が思い込んでるような常識に対しても、エポケーは可能である。しかしこれは意外と、大事な点なのだが、エポケーというのはやろうと思わないとできないのだ。普通にいきていて、自然にそれが完遂されることはない。だから、エポケー・チャンスを見逃さないように、ということになる。ところで、この曲はもうひとつ下敷きにダンテの『神曲』がある。それはぜひ色々想像をめぐらせてほしいのだけれど、願わくばこれが「神曲(かみきょく)」にもなってくれれば、なお嬉しい。

5.夏のクオリア
 ライク・ア・ゾンビでも言及した「心の哲学」は20世紀の哲学の一大分野で、その名のとおり、我々の心の構造をどうとらえるか、ということに対して様々な視点を提示している。「クオリア」というのもその「心の哲学」で使用されることの多い単語だ。このクオリアという語はなかなかに説明が難しい。これもまた誤解を恐れずいえばなにか対象にたいしてうける「感じ」といえるものである。たとえば、我々は造花をみて、それを「花のようなもの」というに感じることができる。しかし物理的にはそれは花とは全く異なる(成分など)。にも関わらずそれが花であると感じる理由は、その花に「花感」を感じているからだ。この「感」をクオリアという。
 夏は、「暑い」とか「海」とか色々具体的な夏をイメージさせる物事以外にもなにか漠然として「夏感」を感じる。例えば、フィロソフィーのダンスも結成から毎年「TIF」や「@JAM」をはじめとした夏フェスイベント(今年はサマソニも!)に読んでいただいたりしたが、まったく同じ場所で、気温も一応同じで、出演者も同じでも、あの雰囲気は「夏」でしかありえない。夏の恋もそうかもしれない。我々はまったく同じものをみたとしても、そこに季節というものから別の「感」を手にすることができる。Bメロ冒頭、三回出てくるフレーズはすべて十束おとはによる歌唱だが、最初のレコーディングで「わたしのパートは海行って、海をみて、帰ってくるだけ」という話をしていて、たしかにその通りだけど、その着眼点が興味深かった。でも海もきっと行きと帰りではまったく違う「感」をもっている。久しぶりの連絡も。

6.ニュー・アタラクシア
 この楽曲もある種、夏の「クオリア」を感じる曲かもしれない。ラテンのビートがそうさせるのもあるだろう。作・編曲の宮野くんもおそらく話すだろうが、この曲は完成までかなり紆余曲折あり、一度は世に出ないままおわるかもしれなかった。4回目のワンマンライブでのパーカッションの入ったライブも記憶に新しいが、「アタラクシア」とは何か、というのがとりあえず目下の疑問にはなるだろう。「アタラクシア」は単に語義的には心が平静な状態にいることだ。安心して、安定している状態。アイドルというのは、ある意味それとは程遠いものかもしれない。僕自身も作家であるから近いものはあるのだけど、彼女たちは安定した職業や仕事というのとは真逆のことをやっている。僕もよく人にそういわれるのだけれど、でもむしろよく考えてみると毎日何がおこるかわからないという「不安定さ」がむしろ心の平穏、つまりは毎日の楽しさを生んでいるというふうにも考えることができるかもしれない。それが、アイドルの世界の「ニュー・アタラクシア」となる。
 ところで、この楽曲はタイトルの雰囲気もふくめ具体的なとある状況をイメージして書かれたもので、それはここにかくのもすこしどうかなと思うことだったのだけど、メンバーも意外と僕が何もいう前から気づいていた。彼女たちの成長っぷりは本当にみていて面白いのだけど、そんな偉そうな視点ではなくて、自分も一緒に成長しようと改めて思った曲でもあった。

7.バッド・パラダイム
 これは宮野くんにいわせると僕の「口の悪いとき」の歌詞らしいのだけど、それは確かにわからないでもない。パラダイム、というのは科学哲学で最初につかわれた用語である範囲で支配的な規範や模範などをさす。たとえば、かつては「地球は平」だったのが、いくつかの発見により「地球は丸い」というのが常識になった。こういう変化をパラダイムシフトという。ところが、この安直な感じの理解は実際に20世紀にこのパラダイム論に関してかなり大きな誤解と議論を招くことになった。それに関してはwikipediaなども十分面白くよめるので、ぜひ読んで欲しいところなのだけれど、アイドルの世界にもこの誤解されたパラダイムがたくさんある。それはパラダイムのようにみえるけど、まったくそんなことはないよ、ということをいうとどうも口が悪くなってしまうらしいのだけど、それは我々が科学とちがってアイドルを感情で理解し、感情で追っているからだろう。

8.ミスティック・ラバー
 アルバム中でももっと大人な世界が広がっていると思われるこの曲、作詞家的にいうと、この曲のサビのメロは非常に日本語の歌詞がつけにくい。技術的な話になってしまうので、基本的には割愛したいが、そこで苦労していた時に、実はフィロソフィーのダンスのイベントをみながり、こっそり歌詞をかいていたことがあった。外で歌詞をかくときは、なにか未だに気恥ずかしさがあって、テキスト入力の文字サイズをかなり小さくしてかいている(まあもちろん発売前のものを見られたくないから、と人には説明しているけれども)。そのときはイベントだったので、いつもよりさらに小さくしております、状態だった。「ああシークレット」というのは、まあ言ってしまえばその瞬間におもわず出てきたフレーズなのだ。実はかきたいテーマだったので、そこからはすらすらといけて、そしてこの曲はなんといっても振り付けにかなりぐっときた。意外と言われないのだけれど、タイトルはもちろんイーストウッドの「ミスティック・リバー」から。哲学的には神秘主義という、僕が大学生くらいのときに専門と関係ないのにずっと秘密で勉強していた分野に由来している。

9.ドグマティック・ドラマティック
 いきなり歌詞とは関係ないのだけど、この曲の宮野くんのアレンジは本当にすばらしくて確かこの曲のころ彼がドラム音源で主につかっているものをかえたといっていたので、僕もそれをのちに買うことにしたくらいの名アレンジだ。実際それが素晴らしかったからなのか、よくわからないが、この曲の歌詞は20分くらいでできたと思う。テクニカルな話ではBメロの韻の踏み方は日本語ならではのものなので、ここは歌詞カードもみながらぜひチェックしてほしいし、あとはドグマとドラマというのも日本語でないと以外に対比するということはないのではないだろうか。ドグマは、哲学や宗教学でもよく使用される用語で「独断」といったところだろうか。ドラマはある意味、それとまったく逆のことかもしれない。

10.アルゴリズムの海
 アルバムでは唯一、僕が作曲もした曲で、アレンジ的にもアルバム内でも抜群に異色な楽曲だと思う。実は最初に曲を作り始めた段階ではこういう雰囲気ではなく、むしろ「アルゴリズム」という語からイメージされるような機械っぽい(よくわからない言い方だが)アレンジだったのをある瞬間からばきっと変えてしまった。結果的には最高のアレンジになったと思う。歌詞は、特に歌詞カードでみるいわゆるアルゴリズム、あるいはプログラムのコードを模した構成になっているので、ぜひ文面でも見てもらいたい。
 時々歌振りやレコーディングの時にメンバーや宮野くんと話していて、どうでもいい嘘をついてしまうことがあるのだけど、この曲のレコーディングのとき、インドの東側の海のことを「アルゴリズム海」といってそれが曲名の由来だといったら誰も信じてくれなかった。最初のころはいろいろ真に受けてくれたのに、成長著しいとはこのことである。

11.ベスト・フォー
 フィロソフィーのダンスは4人組、この4人でなければ成り立たない構成が楽曲でも振り付けでも、盛り込まれて作られている。でも、実際に彼女たちと接してみると、そういった構成上のこと以上に4人がお互いを良い意味で意識して、その意識によってこのグループが一層面白いものを生み出していっていることがよくわかる。そうじゃなかったら、ベスト・フォーなんてタイトルつけられないよ、と4回目のワンマンのあとに奥津マリリには話したけれど、実感あるのかないのか、でもないくらいがちょうどいいのかもしれない。特に彼女はグラビアだったり、色々なところでフィロソフィーの活躍の場を広げていって、それがまたメンバーに面白い影響を与えていたり。
  フィロソフィーのダンスの歌詞は、二人称に基本的に「あなた」をつかっている。しかしこの曲は「君」。「君のすきなものに、君の前でなるよ」この君は誰なのだろう。そしてタイトルのもう一つの意味、「best for following」はまたそこから一歩進んだ世界を表現している。途中に出てくる数字たちも、なにか多くの可能性と戯れる彼女たちのこれからを表現できていたらいいなと、何かもはやそのくらいのしみじみ感である。

12.ジャスト・メモリー
 アルバムラストをかざるバラード曲。哲学的には僕もフィロソフィーのダンス開始当初からあたためていたベルグソンの記憶、そしてもちろんベルグソンの記憶と僕といえば忘れられないプルースト失われた時を求めて』に関するテーマ。さらに、またシングル発売時に多々言及があったように歌詞としてはアイドル界不朽のバラード松田聖子SWEET MEMORIES」へのオマージュにもなっている。というようにかなりハードルをあげ、内容も盛りだくさんになったのだが、バラードをつくるというのはずっと宮野くんとも話していたことで、もちろん1stの「いつか大人になって」もあったのだけれど、グループとしてのバラード曲というのはやはりライブの構成上もメンバーにとってはなかなかの挑戦だったのではないかと思う。であるにもかからず彼女たちがそれを変化球ではなくて、ど真ん中直球で、記憶を更新し続けていることに驚きと安心感を覚えている。
 記憶というのは、非常に不思議なものでそれは事実と密接にリンクしながらも、ある意味で事実から一番遠いものにもなりうる。それが例えば、紅茶にマドレーヌをひたしたときなのか、はたまた、久々にライブに足を踏み入れて、握手をしたときなのか、そして曲をきいたときなのか、その瞬間によみがえったときに意味があるものであるように、アルバムはそういうパッケージになっているのではないかと最後にもう一度そう思える曲が最後に。これからフィロソフィーのダンスはどんな記憶を作ってくれるのか、それはもう自分にとっても楽しみでしかないこと。


最後に

ちなみに文章中では、メンバーをフルネームでかいてあるんだけど、普段はマリリちゃん、あんぬ、おとはす、ハルちゃんと呼んでいる。なんか文章にすると気恥ずかしい。
ひとつのグループでこんなに長い目でみて、歌詞を担当させてもらえるというのは本当に珍しいことでありがたいことです。
フィロソフィーのダンスを応援してくれているみなさま、製作陣・スタッフのみなさま、そしてメンバーのみなさま、いつもありがとうございます。
そしてこれからもよろしくお願いします。