毒か薬か

基本的に週に一回の更新です。毒か薬にはなることを書きます。

あたまをつかう

「あたまをつかって考えろ」とよく言われるものだが、この言葉が含んでいる意味はそれなりに広い。

まず、考えるという行為は、基本的にあたまをつかう必要があるという前提をほとんどの人が持っているということが念頭に置かれている。(念頭に置かれるという言葉も頭で考えているという前提が念頭に置かれている)。たしかに足や手や爪で考えているとはどうしても思えない。少し難儀な問題に直面した時にはあたまをフル回転させてその問題に対処しているように思えるのは、それほど不自然なことではない。

とはいってもここでいうあたまというのは髪の毛や頭皮のことではなく、私たちの脳のことである。「あたまをつかって考えろ」とは「脳を使って考えろ」と言い換えることができる。しかし誰もが思うように、そして前述したように、脳を使わないで考えるということは現代の常識としてはありえない。ここで主張されているのは、例えば

「1から100までの全ての数をたしなさい」

という問題が出された時に、1か順番に2を足して、3を足して…というようなことをするのが「あたまをつかっていない」ということであり、なんらかの工夫をして簡単にあるいははやく問題をとく方法を考えるということ「あたまをつかう」と表現しているはずだ。

この場合はそもそも出題者の意図として「あたまをつかった方法」と「あたまをつかわない方法」が存在している。そのような場合にあたまをつかった方法をとるのはそれほど難しくない(最悪出題者にきくというのがあたまをつかった解答である)。むしろ現実的な様々な問題にたいして、この二択が本当にあるのか、あるいはそれは検討の余地があることなのかということを判断できる必要がある、とすら思う。

 

ワールドカップの最中だ。サッカーでは技術もそうだが、あたまを使ったプレーが必要となるらしい。冗談でもなんでもないが、サッカーであたまを使うといえばヘディングというプレーがある。あれはどう考えても脳にいい影響があるようには思えないので、本当にあたまをつかったプレーが必要ならサッカーではヘディングを禁止にしたらどうかと思う。