毒か薬か

基本的に週に一回の更新です。毒か薬にはなることを書きます。

時をかけるには


先日、今更ながら初めて『時をかける少女』のアニメ版映画をみた。

以前の記事で行った分類で言えば、ここでの時間移動は精神だけが移動するタイプのものである(ネタバレなので詳しくは書かないが、未来人の移動手段についてはこれでは説明がつかないことになるという矛盾もある。また肉体もある時間点から消失するという描写もあるため一概にはそのように言えないのかもしれない)


時間移動の方法論そのものはこの物語の本質では全くないのだが、中に主人公のおば(オリジナルの主人公)の発言として

「時間は不可逆だから、過去に戻ったのはあなた自身だ」

という発言がある。これが、本作の時間旅行を表現しているとすれば、そのさらに前提にあるのは、不可逆でかつ単一ではない時間構造ということになる。


しかし一方で、別種の疑問も浮かぶ。

「時間が不可逆」とはどういうことだろうか。我々の時間経験そのものが不可逆というのは理解できる。つまり明日は必ず今日のあとにやってくるわけで、その逆ということは起こりえない。しかしこれは我々の経験から、過去未来を定義することによって規定されるもので、このことによる説明は循環する。「時間が不可逆」というときに表されている「時間」とはなんなのだろう。


物理上の概念としては、時間は空間と同じようにミンコフスキー空間の4つ目の軸として扱われる。が、しかし我々は空間について可逆であるというような主張はしない。そもそも「可逆である」とはある過程に対して用いられるもので、我々が「時間は不可逆である」とするには時間がある過程であるということを前提にしなければならない。

ところが時間がある過程である、もしくは系列であると前提することは実際にはそれほど単純なことではない。


結局作中では、パラレルワールド的解釈によって問題は解決されるが、時間概念の奇妙さに踏み込むタイプのSFもみてみたいなと感じた。