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毒か薬か

基本的に週に一回の更新です。毒か薬にはなることを書きます。

J-POP恋愛論 1.2「Automatic」宇多田ヒカル(1998)

1998Automatic宇多田ヒカル(作詞・作曲:宇多田ヒカル

 

 前節では男性側視点、そしてロマンティスト的な視点としての恋愛の初期的段階の現れを見たが、もう一曲女性サイドの視点も考えてみたい。以降、男性と女性との間の恋愛観の違いなどというある意味では単純すぎる、そしてある意味では深すぎる二分法について議論はしないが、恋愛の初期的段階という場面において男女という差による表現の違いがあるのは事実であるから、それをできるだけそのままの形で取り出すことを目標としたい。

 女性シンガーソングライターは、歌詞とそれを表現する人間との関係という意味において最もその距離が近い表現者であるように思われる。昨今女性シンガーソングライターの台頭は枚挙に暇がないが、彼女たちがうたう恋愛の歌詞の多くは、彼女たち自身の恋の歌なのではないか、と少なくとも我々に思わせるようなものが多い。

 どんな恋愛にもある種の初期的段階(「恋愛の初期的段階」であるかどうかは必ずしもわからないがそうであると考えたい)があり、誰もがそれぞれの初期段階をいくつも経験することになる。宇多田ヒカルはその音楽性において、あきらかに段階的でない才能を発揮し、表現したが、歌詞には15歳の恋愛の初期的段階が意識的にか無意識的にか現れているといえる。J-POPの歴史をかえたこの名曲は

 

「七回目のベルで受話器を取った君」

 

という歌詞から始まる。無論、この曲を恋愛の曲ではなく、あまり日本人の常識にあてはまらないとはいえ(宇多田ヒカルはデビュー前までアメリカ在住だったこともあり、この見方により説得力が生まれるが)友人関係の曲であると切り捨てることもできるだろうが、以下ではあくまでも恋愛の楽曲であるという考えの元で話を進めていく。

 恋愛の初期的段階においては、あらゆることがその恋愛にとって意味のあるものとして現れてくるだろう。恋をしているクラスメイトと目が合ってしまったこと、一日何回LINEをやりとりしたかということ、こういったことは当然恋愛そのものが当たり前になってくるにつれて(それはひとつの恋愛の中でもそうであるし、また年齢も含めた経験の中でもありえるだろう)、それ自体から訴えかけてくる意味というのは薄れてくる。何回目のベルで相手が受話器をとったかということを数えている、あるいはそれに意味を見いだしていること自体が主人公にとって、あるいは二人にとってこれが恋愛の重要な一場面であるということを示している。これは前述の通り、「第一の結晶作用」によってなされることと思われるが、特にこのようになんでもないことに恋愛の意味を見いだすことをここでは「小さな幸せ」と呼んでおく。

 楽曲の制作時期を考えれば、携帯電話はまだそれほど個人所有されていない、しかし可能性がない訳でもないという時代だが、おそらくここにでてくる電話というのはきっと固定電話のことだろう(続く歌詞からもそれはわかる)。もしかしたら、家族のだれかにその電話をとられてしまうかもしれないという緊張によって、ベルの回数を数えるという行為につながったのかもしれない。事実、現代では一般的に子供といわれる年齢であってもそれぞれが個人所有の携帯電話をもっており、「その電話に誰がでるのか」という問題は存在しない。しかし、かつてはそれ自体が恋愛のスタートにおけるひとつの障害(もちろん逆説的にこれ自体が楽しみにもなりうるが)であった。ある一定の時代以前の「電話」における待ち時間にはそういった要素が含まれると考えて読む必要はあるだろう。しかし、そうだとしても、電話のベルの回数に意味を見いだすということの恋愛初期段階における意義はかわらない。続くブロックでは

 

「唇から自然とこぼれおちるメロディ

でも言葉を失った瞬間が一番幸せ」

 

と展開する。なんでもないことが幸せに思える、「小さな幸せ」があるという現在の状況ゆえに、「一番幸せ」なことが何なのか、それを意識することとなる。ここが前段の電話から直接時系列的につながるとすれば、相手との会話の喜びに対して、自然とこぼれてしまうメロディが、相手がいった重要な言葉によって黙って聴かざるを得なくなった状況と考えられる。その言葉とは、これがここからさらに次の段落

 

「嫌なことがあった日も、

君にあうと全部吹っ飛んじゃうよ」

 

につながるとすれば「今から会おう」かもしれないし、あるいは「愛している」かもしれないし、そのどちらもということもあり得る。

 あるいはこの後の段落を、時系列として見なければ、この前の「唇から〜」のブロックで、この恋人たちはすでに電話をおえて、10代の恋愛への積極性を十分に発揮することで、もう直にあっているかもしれない。だとすれば、「言葉を失った瞬間」とは当然キスのことだろう。メロディを口ずさんでいた唇が奪われた瞬間が最も幸せである、というのも恋愛の初期的段階として不自然なものではない。「君にあって、嫌なことを忘れる」と認識する前に、キスの幸せが存在するという時系列的には矛盾する可能性があるこの並びの方が、ある意味では恋愛の初期的段階の要素のあらわれとしての「小さな幸せ」を表しているといえるかもしれない。

 「ラブ・ストーリーは突然に」の主人公が持っていたラブ・ストーリーへのロマンティスト的な傾倒を仮に「大きな幸せ」を求めているとしたときに、それがその構造において「突然のおわり」を内包する可能性があったように、「小さな幸せ」にもそのような段階があるのだろうか。「大きな幸せ」においては恋愛全体に波及する偶然的なこと(あるいは運命的なこと)を重要視するのに対して、「小さな幸せ」では偶然的要素も含みながら、個別の事項、それも相手や自分が自発的にしたことに対して恋愛の初期段階的な反応を見せている。「小さな幸せ」は、この主人公にとっては非常に現実的なものであるように思われる。

 「Automatic」というこの楽曲のタイトルはそのような現実的に「小さな幸せ」を目の前にした主人公の状況と、感情の動きを実に的確に表現している。直訳すれば「自動的に」となるが、これはまさに「自発性」と「偶然性」という二つの要素をどちらも含んでいるといえるだろう。「自動的に」、つまり勝手にそれは起こってしまうという意味では偶然的であるが、それが自分の感情であり、また相手とあったり話したりすることではじめて「自動的」になると考えれば、納得出来るだろう。やや踏み込むとすれば、自動的に何が起こるのだろうかという疑問がありえる。もちろん歌詞の上では

 

It's automatic

側にいるだけで その目に見つめられるだけで

ドキドキ止まらない Noとはいえない

I just can't help

 

It's automatic

抱きしめられると 君とparadiseにいるみたい

キラキラまぶしく 目をつぶるとすぐ

I feel so good

 

となっており、自動的に「ドキドキ」するなどと考えるのが自然である。しかしこれも前節と同様の考え方だが、恋愛において「自然」につまり、ある種自発的に「ドキドキ」するというのは当たり前のことである。「ドキドキ」しようと思ってドキドキするということはない。このような当たり前がえがかれているわけではないとするのであれば、ここで考えられるのは

 

①「自然に」「自発的に」ドキドキすると、「automatic」にドキドキする、は意味が異なる.

 

②「automatic」に発生するのは別のことである.

 

 

という二つである。①だと考えると、automaticであるということは、「ドキドキ」が自動的におこるという単純な構造の話ではないということになる。つまり「恋人に会う→ドキドキする」という流れが、必ず自然に発生する、ということではないということである。ではautomaticとはどのような意味なのだろうか、という答えが上記の「自発性」と「偶然性」の両要素である。このドキドキは自発的であって、自分の意思としてこの相手に対して結晶作用が起こっても良いというようなモチベーションが存在するのと同時に、それはまさに自然に偶然おこったことでもあるという二つの意味である。

 また②に関していえば、これはやや飛躍した話だが、automaticに発生するのは恋愛に関する「恋愛の初期的段階」であると考えると読めば自然につながる。恋愛に関する恋愛の初期的段階がautomaticにはじまることこそが、まさに恋愛であるというように主張されているようにも思えるし、実際にそのようなことが内包された恋愛というものをある種当たり前に主張出来るのがシンガーソングライターのリアリティであるといえるだろう。

  であれば、間違いなく「恋愛」はやっとここから始まる。と、いえるかもしれない。そして女性シンガーソングライターのほうが、そのはじまるかもしれない恋愛(恋愛に関する「恋愛の初期的段階」)に多少なりとも敏感で、さらにいえばそれそのものを恋愛の一要素として捉えているといえるかもしれない。