毒か薬か

基本的に週に一回の更新です。毒か薬にはなることを書きます。

アイドルバンドセット問題

アイドルがたとえばライブハウスで数組共演する時、普通はカラオケ音源を流して、歌うことになる(歌も流している人たちもいるけれど)。バンドなどでも「同期」といわれる音源をつかって、演奏している人間だけでは足りない楽器の音を流すことはあるけれど…

「脱退するバンドマン、卒業するアイドル」

最近、バンドマンやアイドルのグループからの脱退のニュースをよくみかける、という書き出しの記事をよくみかける。多くの人が書いているので、おそらく事実であることはあるのだろう。多くの人が書いているのにあまり事実ではないという特徴をもった媒体を…

2016/11/20のフィロソフィーのダンス

フィロソフィーのダンスの1stワンマンライブが終了、そして23日には初の流通盤CDである1st album「ファンキー・バット・シック」が発売される。Twitterなどでは繰り返し書いている通り、フィロソフィーのダンスとは結成前のオーディションから関わり、今も全…

音楽作品と著作権とほんの少し印税の哲学(試論)

1:動機と構成 1.1時間を通じて存在する対象の存在論、または認識に関する問題が元々の研究課題であったが、音楽の知覚はその中でも興味深いものであると考えた。例えばそれが単なる物理的な音であるとして、我々が知覚するのはただ波の一部であってそれは持…

SFとして観る『君の名は。』(ネタバレあり)

『君の名は。』 ストーリーとして難しい話だった、という感想があるのを聞いて驚いたのだが、これだけ多くの人が見ているのだから、アニメでも映画でも定番であるタイムリープ、タイムパラドックスSFものを人生で初めてみたという人もいるのだろう。それはす…

J-POP恋愛論 1.2「Automatic」宇多田ヒカル(1998)

1998「Automatic」宇多田ヒカル(作詞・作曲:宇多田ヒカル) 前節では男性側視点、そしてロマンティスト的な視点としての恋愛の初期的段階の現れを見たが、もう一曲女性サイドの視点も考えてみたい。以降、男性と女性との間の恋愛観の違いなどというある意…

J-POP恋愛論 1.1「ラブ・ストーリーは突然に」小田和正(1991)

「ラブ・ストーリーは突然に」小田和正 (1991)(作詞・作曲:小田和正) 恋愛にははじまりがある。それはひとめぼれかもしれないし、相手からの突然の愛の告白かもしれないし、その形は多様だろう。いずれもそれは予期しないものであるから、恋なのであって…

J-POP恋愛論 1.0「恋愛の初期的段階」について

J-POPの楽曲から恋愛を取り出すにあたって、いくつか基本的に共有しておくべき事項があるだろう。もちろん、本稿全体で述べたいのは日本人的な(あるいはJ-POPのリスナー的な)恋愛のモデルが存在し、それを実証出来るというようなことではない。しかしなが…

J-POP恋愛論 0.3「各章の構造」

以下では、恋愛のいくつかの段階、あるいはいくつかの場面に応じて、それに対応した曲を恣意的に選択している。この選択に客観性を持ち込む必要はないと判断した。その中でも一応前提したこととしては前述通り、ヒットチャートから楽曲を選択した事である。…

J-POP恋愛論 0.2「恋愛とは何か」

前節でも書いたように、恋愛はそれを現象としてみればある文化的な枠組みのなかで表現されるようなものである。たとえば、現在では多くの日本人は結婚の前提として恋愛があると考えるだろう。しかしこれは歴史的に見れば異常な状況である。かつて結婚は、ほ…

J-POP恋愛論 0.1「J-POP」とは何か

さて、以下ではJ-POPの恋愛論を扱うが、果たしてJ-POPとは何だろうか。このような問題はこのような短い節ですべて書ききれるものではなく、それだけでひとつの論稿がかけるテーマではあると考えられるが、ここではあくまで以下の議論のために簡単な定義をし…

J-POP恋愛論 はじめに

以下ではJ-POPにおける恋愛について論じる。 J-POPの多くの楽曲の歌詞は、恋愛についての歌詞である。この点に関して詳しく統計をとったわけではないが、例えばCDセールスがピークだったと言える1998年の年間チャートトップ10を見ると、そのうち8曲はかなり…

本当に「私以外私じゃないの」か? vol.4

ずいぶんと間があいてしまったが、vol.4 この間に哲学的に自分の考えに大きな転回があったことも大きいが、前回までの議論を振り返ると 王様と農民の寓話において ①元々の心をもったほうが真に王様と農民である、といえる ②元々の体をもったほうが真に王様と…

本当に「私以外私じゃないの」か? vol.3

前回定式化した問題は さて、今回はポイントになっている心がいれかわってしまった王様と農民の寓話において ①元々の心をもったほうが真に王様と農民である、といえる ②元々の体をもったほうが真に王様と農民である、といえる ③それ以外 という主張のうちど…

本当に「私以外私じゃないの」か?vol.2

さて、前回あがった問題点は簡潔にいえば 「ある人が昨日と今日で同じ人であるといえる根拠はなんのだろうか」 ということである。ある日心が入れ替わってしまった王様と農民。そもそもこの書き方をしている時点で、心か体か、どちらかはあきらかに「元々」…

本当に「私以外私じゃないの」か?vol.1

自己同一性の問題は、思想史的にも重要な問いの一つである。 例えば、以下のような寓話を考えよう。---あるところに、王様と農民がいた、農民は王様のような裕福な生活を望んでいる、王様は農民のことはよく知らないが普段の生活に退屈している。ある朝、農…

2015年のまとめ

2015年 自他ともに認める色々あった年だと思います。基本的には事実だけのまとめです。 1月 大阪でふぇのたすの新年会イベント。地方でのただの飲み会みたいなファンイベントにあんなにたくさんの方がきてくれてびっくりでした。 千原さんと「今夜がおわらな…

論理的とは何か2

さて、前回論理的であるという観点で、普通使われる推論のふたつを紹介したが、その中でも普通我々が「論理的」そのものであると考えるのは「演繹的推論」のほうだろう。例えば三段論法というのは実に論理的であるし、これは疑う余地がないことのように思え…

「論理的とは何か1」

」」: --> 「論理的に正しい」という言葉がある。この言葉については、これまでに色々なところで書いているが語り尽くせないほどに多様な意味を持っている(論理的に正しければ意味は一つのような気がするのが不思議である)。今回は論点は「演繹と帰納」で…

どうでもいいこといいますけど

どうでもいいことですが、という書き出しではじまる会話や文を見ることは少なくない。例えばTwitterなんかではよく見かける書き出しだ。どうでもいいなら、どうでもいいらしく黙っていれば良さそうなものだが、そのように言ったところで別にどうでもいいのだ…

僕何歳

日本語の用法には色々な不思議がある。そもそも絶対的なスタンダード言語はあってもなくてもよいのだから別に他の言語と比べて変なところがあっても良いのだけれど、その言語の内部での「何でこんな言い方があるのか」わからない言葉遣いだけでも枚挙にいと…

効率的とはどういうことか

効率的であるということは、普通非常に良いことであるといえる。ほとんどの仕事や日常生活においてさえも時間の無駄をなくしたり、時間をうかせて別のことにつかえるようにするのはひとつのスキルとして認められているものだ。 時は金なりというが、金を時間…

一億円拾ったら

「一億円拾ったらどうするか」という問いは、前後の文脈なしによくあるレベルの(好きな色を聴くのと同じような意味で)質問である。予想される回答は「車を買う」とか、「楽器を買う」とか「貯金する」「募金する」といったものが考えられるが、それも人に…

ウラシマ効果

特殊相対性理論によれば、より光速に近い速度で運動する物体は静止している物体に対して時間が遅れる。これは別に光速に近いほどのすさまじいスピードで動く必要もなく、静止している物質よりも相対的にはやく動く物体は時間が遅れるということである。高速…

すべてのみちは

すべての道はローマに通ず、という言葉がある。道という言葉の定義は非常に厄介であるというのはすでにお察しの通りであるが、ひとまずそのようなことをいったんおくとこれを真であるとしたとき、ひとつのかなり重要な結論が出てくる。それはつまり「あらゆ…

正しさと証明

形式的な論理学をある程度学ぶと、常に真であることと証明が可能であることの関連性についての話が登場する。普通に考えると「正しい」ものは「証明可能」であり、また逆に 「証明可能」なものは「ただしい」ということができそうだ。ゲーデルの完全性定理は…

向いてない人

人には向き、不向きがある。という言説は、かなり無批判に受け入れられている。ここには向いている職業や、学問、スポーツなどが人それぞれあり、出来るだけ向いているものに取り組み、向いていないものはできなくても仕方がないという含意がある。一方で、…

あたまをつかう

「あたまをつかって考えろ」とよく言われるものだが、この言葉が含んでいる意味はそれなりに広い。 まず、考えるという行為は、基本的にあたまをつかう必要があるという前提をほとんどの人が持っているということが念頭に置かれている。(念頭に置かれるとい…

他者とは何かーふぇのたす「スピーカーボーイ」セルフレビュー

我々の社会性一般は普通「私」と「世界」の関係性として議論される。 私たち個人個人は、社会の中でそれを一つの超越であるととらえると共にまた自分もその一部であると考えることで、社会を一個の集合体であるとともに一応はそれをたんなる外部性としてでは…

ぴったり12

年末になるといつも、今年できたことややりたかったことを振り返る、といったイベントが強制的に設定されることが多い。 一年の総括を行ったり、総決算を出したり、仲間内でも仕事でもそのようなイベントを行い、今年一年の反省をしたり、来年の目標を決めた…